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高等教育大学ブランドシグナリング理論就職教育社会学

大学「ブランド」は何を保証しているのか ― シグナリング理論から読む偏差値社会


高等教育ウィークリー 創刊記念連載 ― 全5回シリーズ|第4回

6月8日創刊の「高等教育ウィークリー」を記念した全5回エッセイシリーズ。第3回「大学院卒が冷遇される日本の謎」に続く、第4回です。


「東大を出た人はやっぱり頭がいい」という言葉を、日本では頻繁に聞く。逆に「〇〇大学だから採らない」という言葉も、採用現場の口承知識として残っている。

大学の「ブランド」が就職市場で実質的な影響を持つ。この事実そのものに疑問を持つ人は少ない。では、大学ブランドは何を保証しているのか。

この問いに経済学者が答えを出したのは、半世紀前のことだ。


シグナリング理論が示したこと

1973年、経済学者マイケル・スペンスは「教育はシグナルである」という論文を発表した。のちにこの研究はノーベル経済学賞(2001年)の受賞理由の一つとなった。

スペンスの主張は挑発的だった。教育は人間の能力を高める(人的資本の形成)ためだけでなく、「もともと能力が高いこと」を証明するためにも機能する——というものだ。

具体的には、こういうことだ。難関大学に合格できる人は、そうでない人より学習コストが低い傾向がある(地頭が良い、努力できる、環境に恵まれているなど)。企業は採用時に個々の能力を正確に測定できないため、「どの大学を出たか」を「どのくらい能力があるか」の代理指標として使う。

この構造において、大学の学位は「能力の証明書」ではなく「スクリーニング通過の証明書」として機能する。入学試験が「選別の関門」として機能し、そこを通過したという事実そのものが情報を持つ。

注意すべきは、この理論が「教育には意味がない」と言っているわけではない点だ。人的資本形成とシグナリングは、両方が同時に起きている。問題は、就職市場がどちらをどれだけ見ているか、という比率の問題だ。


偏差値という発明

シグナリングが機能するためには、「序列」が外部から見えなければならない。どの大学がどの位置にあるかが、採用側に伝わる必要がある。

日本はこの問題を、偏差値という仕組みで解決した。

偏差値(hensachi)は1960年代に開発され、1970年代以降に進学指導の中心的な指標として定着した。集団内での相対的な位置を示すこの数値は、複数の科目・複数の大学を一本の軸で並べることを可能にした。

この単純さが普及の理由でもある。偏差値70の大学と60の大学の「差」が何を意味するかを、大学教育を受けていない人でも直感的に把握できる。親・教師・採用担当者が共通言語として使える情報フォーマットが成立した。

ただし、偏差値が測っているのは「その時点での学力」、より正確には「その受験問題に対する正解率の相対的な位置」だ。それ以上でも以下でもない。卒業時の能力、在学中の学習内容、4年後に何ができるか——これらは偏差値から直接は読み取れない。


ブランドを担保しているのは何か

大学ブランドは、どこから生まれるのか。

一つの答えは「入学難易度」だ。合格が難しいほど、「そこを通過した」というシグナルは強くなる。難関大学が高いブランドを維持しているのは、教育内容の質だけでなく、倍率・偏差値の高さと切り離せない。

もう一つは「卒業生のネットワーク」だ。難関大学の卒業生が要職に就くと、採用時に「出身校で判断する傾向」が生まれやすい。同じ大学出身者を同じ採用ルートで選ぶことが続くと、ブランドは自己強化される。難関大卒が要職に就く→その人が採用を担当する→難関大卒を採用しやすくなる、という循環だ。

さらに「教育の質」という要素もある。ただし、これが測定しにくい点に難がある。教育の質を直接測る指標が乏しい中で、入学難易度が事実上の代理指標として機能してきた。

つまり、大学ブランドは複数の要素が絡み合って成立している。入口の難しさ、卒業生ネットワーク、教育の質——これらが分離しにくいため、「何が価値の源泉か」を特定するのは難しい。


国際比較で見えてくること

大学ブランドは日本固有の現象ではない。しかし、仕組みは国によって異なる。

アメリカのアイビーリーグは、日本の難関国立大学と同様の「入学難易度によるブランド」を持つ。ただし、アメリカでは卒業後の職業的成果(収入、キャリアの多様性)に関するデータが相当程度公開されており、「そのブランドが実際に何をもたらすか」を検証するエコシステムが一定程度整っている。

ドイツは対照的だ。大学間のブランド差が日本ほど顕著ではなく、むしろ「何を専攻したか」「どの資格を持っているか」が採用指標として機能する傾向が強い。職業訓練制度と高等教育が並立しているため、大学のブランドが一元的なシグナルとして機能しにくい構造がある。

OECDの学習到達度調査(PISA)では、日本の15歳の平均学力はOECD上位に位置する。一方、高等教育機関の国際ランキング(Times Higher Education等)で上位に入る日本の大学は限られている。入口の難しさと、在学中の研究・教育の国際的評価の間に、一定のギャップがある。


複数の解釈

大学ブランドを採用指標に使うことは、合理的な行動か否か。複数の立場がある。

合理的な情報利用という見方では、企業は限られた情報で多数の応募者を評価しなければならない。偏差値・大学名は「スクリーニングのコストを下げる」機能を持つ。完璧ではないが、全く無関係でもない指標だ。

慣行の継続という見方もある。かつて一定の合理性を持っていたスクリーニングが、知識集約型経済への移行後も変わらずに使われている可能性だ。能力の多様化・専門化が進む中で、大学名という単一指標の精度は下がっているかもしれない。

既に変化しているという観察もある。ITエンジニア採用ではGitHubのポートフォリオやコーディングテスト、実績が大学名を超える場面が増えている。スタートアップや外資系では、いわゆる学歴フィルターの機能が薄れつつあるとも言われる。統計的な平均像の変化は緩やかだが、一部の分野では変化が起きている。

どの解釈が正しいかは、業種・職種・採用規模によって異なる。「大学ブランドが機能する市場」と「しない市場」の分化が進んでいる可能性もある。


ブランドが保証するもの、しないもの

改めて問い直してみる。大学ブランドは何を保証しているのか。

「入学時点でのスクリーニング通過」は保証される。入試という関門を、その時点の学力と努力で通過したという事実だ。

「在学中に何を学んだか」は保証されない。同じ大学でも、学部・ゼミ・個人の取り組みによって大きく差が出る。大学名が同じでも、4年間の経験は千差万別だ。

「卒業後の能力や成果」も直接の保証はない。シグナリング理論が示すように、大学の価値の一部は「入口の難しさ」から来る。それは入学前の資質の反映であり、大学教育そのものの付加価値とは区別されうる。

ただし、これは「大学ブランドは無意味だ」という結論ではない。在学中の人的ネットワーク形成、一定の知的環境への参加、卒業生コミュニティへのアクセス——これらは確かに存在し、測定しにくいながらも現実の価値を持っている。

問題は、就職市場が「何を評価しているか」と「大学が何を提供しているか」が、必ずしも一致していない点にある。入口の難しさというシグナルが中心的な機能を持つとすれば、在学中の教育内容の改善は、市場評価への直接の影響を持ちにくい。


問い ― 大学に行く理由をどこに置くか

大学ブランドが「入口のシグナル」として機能するとすれば、在学中の4年間は何のためにあるか。

能力の形成か。人脈の構築か。社会への参加の準備か。それとも「行ったという事実」そのものを市場に示すためか。

この問いに正解はない。ただ、「大学のブランドが就職に有利」という事実の背後にある構造を理解することは、大学を選ぶ人にとっても、採用する人にとっても、制度を設計する人にとっても、意味を持つかもしれない。

次回(最終回)では、AI時代における「4年間」という時間の機会費用を考えてみたい。

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